親切は難しい
- 城山
- 2021年9月17日
- 読了時間: 2分
人に親切にする。とても大事なことだ。
小中高、社会でもそう言われる。
私は人に親切にするのなら一瞬か終わるまでかの2択だと思っている。
一瞬とは例えば災害にあった人がいたとしよう。
その人が瓦礫の下敷きになっている、食料に困っているでもいい。この時に救助する、これが一瞬だ。深く関わり合わないでその場だけ助けるそれが一瞬だと思う。
終わるまではその人が自立するまで、一人で生活が出来るようになるまで見る事だ。
この2択だと思っている。それは何故か?
中途半端だとどれだけ親切にしても恨まれる可能性があるからだ。
ミスターインクレディブルと言う映画は見たことあるだろうか?僕らのヒーローアカデミアでもいい。
ミスターインクレディブルでは序盤で助けた人に訴訟を起こされている。
ヒロアカでは2021年9月くらいの連載がそんな感じだ。
人は過程よりも現状を重視する場合が多々ある。助けられなかったら無い命も助かったから次のことを考える。今の自分は怪我をしている、何故か?それは助けられたからだ、と。
現実でも簡単に起こる事と言うのはよくわかるだろう。ニュースではいい事を行った人を多く映すから現場にいなければわからないだろうけど。
中途半端でもいい事をされたらお礼を言うべきだ。その後を心配する人はどれくらいの割合でいるかはわからないが全員ではないだろう。
その気持ちが全て感謝の気持かと聞かれたらどうだ?
災害、飢饉、パンデミック、事故これらは画面の向こうで見ている分には怖くはないし同情とかも出来る。いざ自分で体験するととんでもないと感じる、だからこそ画面の向こうが丁度いい。
共感を得るためには丁度いい距離感が必要だけ。
人を助ける事はいい事だ。誰も否定はしないだろう。しかし中途半端だといい事をしたのに否定されたりする、それならやらないほうがいいじゃないかと思い人もいる。
人を助ける事はいい事だが人助けを強制するのはいいことか?ボランティアは無料だけでは無いが日本だと無料の認識だ。
社会の為、子供の為無料でなにかやってくれ。
金は出せない、けどいいことだろ?
これを中途半端にやると罵声が飛ぶこともある。親身になってたのにとか、子供を大切にできないの?とか
だからこそ助けるなら一瞬か最後までかの二択になると考えている。
死にそうな人がいたときに何もできずに手を握るくらいなら介錯をしたほうがいい時もある。
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